消しゴム
(あれー? 消しゴムない……)
そうそう。そういえば、昨日家で絵を描いていたときに筆箱から出したんだった。そのまま机の上に…… うーん、こまったなぁ。
まったく、消しゴムなんて100円やそこらなのだから、よく物を失くす私のような人間は複数個常備しておくべきなのだ。
隣の子から借りようかな、と思って視線を横へやると、机に突っ伏してるブレザー姿が目に入った。おいおい爆睡やんけ。起こすのも悪いし……
もう一度ノートへ目を戻す。記号の添字が間違っている。ほんの少し消すだけなんだけどなぁ…… そうこうしているうちに授業は進んでいく。あー、でも、ここの式を直さないと変なことに。上から線を引いて文字を消すのはダサくてイヤだった。
気が散ってシャーペンを回していると、「ポンッ!」っと机の上に紺色のケースに入った消しゴムが現れた。ウッ やってしまった…!
*
少女は地域の神社の娘だった。正月には巫女として働く。そんな彼女は、古い精霊の血を引いていた。
赤飯を食べ、貞操を保っていた彼女は、その身に眠っていた精霊の力を目覚めさせていた。
そして、その身に溢れる途方も無い力を、まだ十分にコントロールできないでいた。
*
冷や汗を垂れながら隣の席へ視線のみをやる。やっぱり、隣の席の友人はまったく消え失せていた。
机の上に出現した消しゴムへ目を向ける。学校指定のブレザーとスカートを模したケースに、肌色の消しゴムが入っている。上部にはかみのけの色。直方体の姿に身体を押し込められた彼女は、自分が消しゴムになったことにも気付かず、まだスヤスヤと眠っていた。
うーん、ちょっとだけ、ちょっと消すだけならいっか。かみのけのところなら問題無いだろうし。
そうして、消しゴムになってしまった友人を掴むと、ノートへ当てたのだった。
*
(ゴシゴシ……ゴシゴシ……)
ドゥワワワ!! あ、頭がぁ!
…寝、寝ちゃってた。あれ、先生に起こされたかと思ったんだけど… なんだか世界が反対になって頭が削られてる感触が…!?
頭の違和感に飛び起きた少女は、世界が逆さまになって自分の頭が地面へ擦り付けられていることでパニックになっていた。しかも、首も腕も脚も、身体がまったく動かない!
胸元へ目をやると、まったく大きな親指が自分の胸を押さえつけていた。きょ、巨人!?
そして、身体が上へと持ち上げられる。親指で頭を乱暴になでられ、フッと顔に息を吹きかけられた。えっ なんで巨人になってるの…?
少女は自分の友人が大きくなって自分の身体を掴みあげていることに驚いた。息を吹くためにすぼまれた唇が艶かしい。そんなことを思っていると、終礼のチャイムが鳴る。彼女はハッとしたかのような表情をすると、私を暗い場所へ押し込めて、あわててペンを走らせ始めた。
なにこれ…… 少女は自分が入れられた場所を確認する。自分の身長の何倍もあるような大きなペン、ファンシーな物差し。これじゃ、まったく私が消しゴムになったみたいじゃない。 …? 消しゴム?!
あっ そうか。頭を地面へ擦り付けられたのは、字を消すためで、頭をなでられたのは、ケシカスを払い落とすためで……
少女は真っ青になった。どうして私が友逹の消しゴムになってるの?! どうにかしたいが身体が動かない。どうしようもできない。そうしているうちに筆箱の中に新たにシャープペンシルが押し込まれ、チャックが閉められた。あるのは、だただた暗闇だけになった。
*
まだ板書を写し切っていないのに終礼に見舞われた少女は、ただただ書き写すことだけに気を取られ、なんとか写し終わった後には隣の友人を消しゴムにして筆箱に放り込んだことなぞまったく忘れていた。まったく、忘れっぽい性質はときとして不幸を生む。
そのまま電車へ乗って、たまたま座れたので授業の復習。途中、書き損じをしたので筆箱の中から消しゴムを出す。なんだか柄のおかしな消しゴムだが、勉学に集中する少女は気にも止めなかった。
(あわわっ 降りなきゃ!)
不意に、ドアの開いたその駅が自分の最寄りであることに気付く。少女は慌ててノートを閉じると、カバンを抱えてドアへ走りだした。かろうじてノートの端へ巻き込まれていた消しゴムが、客の間をすり抜けるときの振動で床へ落下する。少女はそんなことには気付かずに、ホームでノートをバッグへ仕舞いながら、乗ってきた電車が出発するのを見送った。
*
(えええ!! 待って!!!!)
まさか、電車の中で筆箱の中から出されるとは思わなかった。そして、まさかそのまま車両へ落とされて忘れられていくとは思わなかった。
小さく身体をケースに押し込められた消しゴムの状態ではどうすることもできない。
次の駅でセーラー服の少女たちが入ってくる。その内の一人が、私のことを気付かずに踏んだ。革靴の底で全身が圧迫される。消しゴム様に柔らかい身体には、革靴の靴底跡がついただろう。何かを踏んだことに気付いた生徒は、足を上げて私のことを蹴りのかした。
床に放り出されて、靴で踏まれて、顔も服も身体も汚れて。まったく、私はゴミのようだった。
もうすぐ終着駅だ。折り返しの間には車内清掃がある。車内清掃では、床のゴミはすべて掃かれて捨てられるのだった。
捨てられる前に誰か拾ってくれないかな…… こんなに汚れてしまったら消しゴムなんて拾う人居ないだろうな……
少女の声は届かない。ただただ、車両の床に転がり、踏まれ蹴られることしかできなかった。
(だれか助けてください! お願い、気付いて…… 私、ゴミなんかじゃありません!! だ、誰か…誰か…… 誰か気付いて…… 捨てられたくないよ……)